
前回の私のみそひと(玩具)を評して、
説明的すぎるとか現代短歌的奔放さが足りない、
などと、ありがたいお言葉を発してくれたハルさんが、
作品になりきれずにお蔵入りした私の下書きを見て、
「これよ、これ。この自由律がいいわ。
下書きと言いながら、30文字程度におさまってるし。
よし、これに私の画像を付けるってのはどう?
歌集になったら、私にも印税入るでしょ。」
そんなこんなの経緯があった。
ハルさんのお眼鏡に適っても、読者の皆様にはいかがだろう。
意欲作だろうか、結局は駄作の羅列だろうか、ご笑納を。
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-- 自由律 --

いただき物の手拭いを見て
言葉失いし日を思い出したり

下がる脚に 主の叱責飛びて
その夜ひとり風呂場で練習

縄尻を吊り上げる主の手加減
快と苦を彷徨うもまた嬉し

獲物と言い 狸汁を喰うと言う主
あぁ狸縛りっていうんだっけ

街中の喧騒で「検査」の一言
裾上げかけの指先が震える

派手もない 地味もない
そこにあるのは主の満足 私の恐怖

見下ろす主の瞳に
次なる責めを感じし全裸の正座
「お前を使う」「お前は後だ」
一度だけ尋ねたことあり それはなぜかと
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選者、画像はもちろんハルさんだ。
私の想いと画像が違うなってのもあるけれど、
こうして並べてみると、
なんとなく作品らしく見えてくるから不思議だ。
でも私には負い目がある。
これらは三十一文字に収斂できなかった不甲斐なさの集合だからだ。
ただ、自由律短歌とは、
その時、思わずほとばしり出た歌だと勝手に定義すれば、
それなりに、これもありかと感じているし、
ハルさんの奔放な着眼にも感心している。
奇をてらい、ウケを狙って、定型歌を崩すつもりはないけれど、
収斂しきれなかったその時々の想いを
自由律短歌として表現できるならば、
自分の力量の無さの言い訳だとしても、
それはそれで、おもしろい、、、
そう感じている今の私であります。
はてさて、次はどうなりますことやら、、
じゃぁ、又。 レイ


